
「日本中学生新聞」を創刊し、政治について発信する中学生の川中だいじさんと、長年選挙取材に取り組むジャーナリストの畠山理仁さんとの鼎談が実現。政治がタブー視される背景や、ウンコと政治の意外な共通点について語り合いました。
間違えるのが怖い?
伊沢 川中さんは「日本中学生新聞」を創刊し、まだ中学生なのに数々の政治家を取材しているのを知って、ぜひいつか会って話してみたいと思っていました。その川中さんが、映画『うんこと死体の復権』を観てくれたことで接点を持てて、すごく嬉しいです。
私は糞土師として、ウンコは自然界では命を循環させる大切なものであり、人が作り出す最も価値あるものだと訴えています。でも人間社会では逆に、トコトン忌み嫌われる存在です。
政治も同じように、生活に密着した身近で大切なものであるにもかかわらず、タブー視されたり、関心を持たれなかったりしますよね。川中さんは、政治に積極的に参加する人が少ない理由をどう考えていますか?
川中 「選択を間違えるのが怖い」というのが、理由の一つだと感じます。日本の教育は、生徒にとにかく間違えさせない。言われた通りにやる生徒が優等生で、自分の頭で自由に考えると劣等生扱い。僕も学校で、「そんなに自由に生きていたら、後でツケが回ってくるぞ」なんて言われたこともあります。

川中だいじ(かわなか・だいじ)2010年12月11日生まれ。大阪市出身・在住の中学3年生。小学校3年生のときに政治に興味を持ち、民主主義とは?と考え始める。2023年3月『日本中学生新聞』刊行。
一番印象に残っているのは、小学4年生の時に先生に言われた言葉です。学校で友達に大阪都構想について意見を聞いていたら、先生に「学校で政治の話をするな」と叱られたことがあります。「いろんな意見があるんだから、話しちゃダメだ」と。
伊沢 え、いろんな意見があるから話してはダメなの? 普通、逆だよね。
川中 そうですよね。しかも、どう思うかを聞いていただけなので、自分の意見を押し付けていたわけでもなくて。
畠山 「みんなどう思う?」と問いかけるのは、むしろ先生の役割だから、本当におかしな話ですよね。
僕は日本社会で気軽に政治のことを話せない要因の一つは、みんなが真面目すぎることではないかと思います。そして自分の判断に自信が持てないから、投票に行けなかったり、自分の意見を言えなかったりする。
でも、そもそも政治に正解はないんですよね。何が正解に近いかを自分で決断するのが、政治的な決断。だからたとえ間違えたとしても自信を持っていいんです。

畠山理仁(はたけやま・みちよし)フリーランスライター。早稲田大学第一文学部在学中の1993年より、雑誌を中心に取材、執筆活動を開始。大学には4年間在籍したが卒業せず除籍。第15回開高健ノンフィクション賞受賞作『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』(2017年・集英社)著者。同書は「咢堂ブックオブ・ザ・イヤー選挙部門大賞」「日隅一雄情報流通促進賞奨励賞」「及川眠子賞」「角岡伸彦ノンフィクション賞」など5賞を受賞した。
伊沢 どんどん間違えたり失敗してもいいのにね。私なんてしょっちゅう失敗だらけですよ。今朝も実は、とんでもない大失敗をやらかしたんです。
以前私は日野によく来ていて、その度に多摩川の川原で野糞をしていました。昨日は国分寺泊まりなので今朝もそうする予定だったんだけど、今日は都心で川中さんたちと午前中に対談を済ませることになり、多摩川で野糞をする余裕がなくなって、牛乳パック野糞に切り替えたんです。
それは、ホテルのバスルームでお尻に空の牛乳パックを当ててウンコをして、口をガムテープでしっかり閉じて持ち帰り、後で中身を林に埋めてくるんです。でも今回はうんこをしている最中に、何か感触が変なんです。出し終わって下を見ると、パックの口が半分閉じていて、うんこが半分以上床にこぼれていたんですよ。
畠山 ああ、それは大変だ(笑)。
伊沢 もちろんウンコはトイレに流したりせず、全部牛乳パックに回収したんですけど、その後の掃除が大変で大変で、お陰で到着が遅刻ぎりぎりになっちゃったんです。すみません。……で、これがその牛乳パックです。中身はうんこだけど、でも、臭わないでしょう?

でもこの失敗のお陰で、次からは口が閉じないようにする改善策が見えてきたんです。つまり、失敗したり批判されたりするからこそ、自分の考えや行動が上達すると考えています。糞土師になってからは特にたくさんの人に批判されましたが、その都度その問題点を深く考え探究することで、糞土思想をより深化させることができたと感じています。
“黙殺”される候補者たち
伊沢 政治も含め、何かがタブー視される要因の一つは、クレームだと思うんです。みんな、クレームが来るのを恐れて、自由に発信できない。
一方でクレーマーは、「自分が正しくて相手が間違っているから、正さなくては」と思って文句を付けるわけですよね。つまり、自分こそ正しいんだと。そしてそのエゴを満たすために、自分の正義を振りかざして相手を攻撃する。そういういわゆるエセ良識派が、一番タチが悪い。
畠山 なるほど。僕は選挙の取材をする中で、政党や組織の支援を受けず、たった一人でも立候補する人たちを取材して『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』という本を書きました。世間では彼・彼女らのことを“泡沫候補”(選挙に当選する見込みが極めて薄い候補)と呼ぶのですが、僕はこの言葉が嫌いなので使いません。敬意を込めて“無頼系独立候補”と呼んでいます。
だって、選挙はやってみないと結果はわからないじゃないですか。同じ立候補者であるはずなのに、勝手に判断している。大いに侮辱している。
そんな選挙の現場を見ても、今の伊沢さんの話に共感する部分があります。というのも、無頼系独立候補たちに対して、「なんでお前が立候補するんだ」と批判する人がいるんですよ。一定の条件を満たせば、誰もが選挙に立候補できる権利を持っているのに。
そういう場面を見ると、自分の好みだけで、他者の人権をあまりにも簡単に踏みつけすぎだろう、と思うんですね。
伊沢 非常によくわかります。しかもそういう人に限って、自分の権利が脅かされることには敏感なんですよね。
私も畠山さんの『黙殺』を読んで、立候補者がいかに対等に扱われていないかを知り、衝撃を受けました。しかも選挙に出るだけで高額なお金がかかるというのも、よく考えればおかしな話ですよね。

畠山 そうなんです。日本の選挙制度では、供託金という前払金を支払わなければ選挙に立候補することができません。参議院の選挙区や都道府県知事選は300万円、国政の比例で選挙に出るならなんと600万円もかかります。こんなにお金を払ってまで選挙に出て、有権者に問題提起をしているんだから、批判するどころか、むしろ感謝したい気持ちなんですけれどね。
ちなみに、日本の選挙の供託金は、海外と比べて非常に高いです。フランスやドイツ、アメリカなどは、そもそも供託金なんてありません。
供託金が高ければ、立候補できる人は限られますから、提起される問題や主張される意見の幅も自ずと狭まってしまう。民主主義の根幹に立ち返れば、これは望ましくないはずです。だから日本でもより多様な人が選挙に出馬して、自由に主張できる雰囲気を作っていきたいんです。

畠山さんが作った、選挙漫遊十箇条
川中 ちなみに僕の周りの友達は、割とみんな政治のことを臆せず自由に話しています。「今朝は公明党の候補者が、駅前でこんなこと話していたよ」とか。
伊沢 おお、いいねえ。そうでなくちゃいけないよね。
畠山 やっぱり学生だろうが大人だろうが、堂々と政治について話せる人が近くにいるのは大事だと思いますね。まさにだいじ(川中)さんが、その役割を果たしているんじゃないかな。
川中 確かにそうかもしれません。そう思うと、今の若い人は政治に無関心なんてよく言いますが、実はみんな興味はあるのかも。関心はあるけど、話せる空間がないとか、相手がいないとか。
伊沢 そう、その通りですよ。だから私の講演会では会場全体がウンコの空間になっているから、みんなおおっぴらにウンコ、ウンコって。普段はとても言えないのに、一生掛かって言うくらいウンコって話しました、っていう人もいますよ。
畠山 そうですよね。そもそも政治で話されていることは、生活に直結するんだから、関心が持てないはずがないですからね。

立憲民主党所属の衆議院議員に取材する川中さん(川中さん提供)
ウンコと選挙の地位を上げる
伊沢 お二人は、政治や選挙の地位を、これからどうやったら上げていけると思いますか?
畠山 政治が私たちの生活と直結していることを示すために、わかりやすい指標があるんです。それが、国民負担率。税金と社会保険料の総額を国民所得で割った比率で、国民が負担する公的負担の度合いを示す指標です。
たとえば2024年の国民負担率は45.8%なんですが、これはつまり、自分の収入の約半分を社会のために一回国に預けているということなんです。選挙は、その大金の使い道を決める人を選ぶということです。
もう一つは、「1票の価値」を具体的な金額でイメージしてもらうことも有効かもしれません。これには簡単な計算方法があって、「国の予算÷有権者数✕議員の任期=1票の価値」というものです。今年7月には参議院議員選挙がありますが、3年前の2022年に計算したものをお見せします。
「国の予算(一般会計)107兆円÷有権者数(1億501万人)✕参議院議員の任期(6年)=611万3168円」
つまり、あなたの一票は「611万円の行方を決めるための意思表示」ということです。ものすごく高額ですよね。しかも、国会議員にリコール制度はない。返品不可の600万円の買い物だと考えると、もっと慎重に選ばないといけないなと、見え方も変わってきませんか?

2023年に上映された、畠山さんの選挙取材に密着した映画『NO 選挙, NO LIFE』
伊沢 本当ですね。ウンコも同じで、捉え方によって印象が180度変わるんですよ。その一番わかりやすい例は、ウンコから香水が作れるということです。
畠山 ええ?! ウンコが嫌われる最大の理由は、あの匂いだと思っていたのですが……。ウンコから香水ってどういうことですか?
伊沢 香水には「スカトール」という成分がよく用いられているのですが、あれは実はウンコの臭いの化学物質なんです。濃いとウンコ臭なんだけど、薄めたらジャスミンみたいな良い香りになるんですよ。
そしてなんと、実際に「ウン香水」を作っちゃったんです。カマクラ図工室といって、子どもに生きる力を身につけさせようと活動しているグループがあり、そこで私がウンコの講演の中でスカトールの話をしたんです。するとそこに参加していた小学五年生が「ウンコから香水を作ってみよう」と言い出してね。
その子はホームセンターから出る廃材をもらってきて、ウンコを蒸した蒸気を集めて液化する装置を創作し、実際にウン香水を作りました。面白かったのは、その合宿に参加していた美大の女子学生がその匂いを嗅いで、「ご飯が炊けてお釜のふたを取ったときの匂い」と表現したんです。「ウンコは臭い」という常識が、見事に“糞砕”された瞬間でした。
ちなみに、その場ですぐウンコを出せる人はなかなかいないので、そのウンコはもちろん私が提供しましたけどね(笑)。
畠山 ああ、やっぱり(笑)。
アドバイスは余計なお世話
川中 政治や選挙についてもっと気軽に話せるようにするために、僕はやっぱり、教育を変えていきたいです。冒頭でもお話ししたように、日本の教育は、正解を教えてその通りにできるようになることを重んじますよね。でもそれって結局、先生が生徒をコントロールしやすくしたいだけだと思います。
一方で、たとえば北欧の教育では、自分で問いを立てて考える、調べるということを、義務教育から力を入れていると聞きます。
去年、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞ましたが、その代表の田中熙巳さんがノルウェーに行った際に、現地の中学生が記者に混ざって取材をしていたそうなんです。
僕もいろんな政治家に取材をさせてもらっていますが、中学生がそんなことをしていると、日本では変人扱いされることの方が多い。でもそうした光景を日本でも当たり前にしていきたいし、考える力や問う力が身に付かなければ、間違いなく民主主義は劣化してしまうと思います。

立憲民主党代表選挙 共同記者会見で質問する川中さん(川中さん提供)
畠山 本当にそうですね。でも実は、私自身も日々反省しているんですよ。子どもがいるんだけど、子どもが失敗する前に、先回りしてついついアドバイスしてしまう。経験を積むと、失敗しそうなことがある程度見えてしまうから、老婆心から言いたくなっちゃうんです。
そういう大人に子どもは、堂々と「余計なお世話ですよ」と言ってあげてください(笑)。
川中 わかりました(笑)。世の中全体も、もっと自由に議論し合える雰囲気にしたいですよね。僕はSNSでもいろんな発言をしているのですが、この前万博協会が、3つのサブテーマ「『いのちを救う』『いのちに力を与える』『いのちをつなぐ』を感じる旅へ」と記載をしていることに対して、SNSで「はりぼて」と投稿をしたらかなりアンチコメントがついてしまったんです。
今年は万博が開催されていますが、そのコンセプトの一つが「いのち輝く未来社会のデザイン」なんですね。それなのに、万博が売りにしているのは「ヘルスケアパビリオン」で、結局は生産年齢人口を伸ばそうという話にしか僕には思えませんでした。本当にそのコンセプトを考えるなら、人間中心の命ではなく、生態系のサイクルの中で命を考えなければいけないのに。
伊沢 私もまったく同感です。日本政府が出展する日本館のテーマは「循環」だと聞いていますが、それでも「いのち輝く未来社会」を本気でデザインしたいなら、万博なんかをやるよりも、みんなでどんどん野糞をした方がいいんです。
私は常々「百万遍のいただきますよりたった一度の野糞」と言っています。感謝の言葉や気持ちというのは、じつは自己満足に過ぎません。食べて命を頂いた相手に本当に感謝するなら、その食べ物になってくれた動植物にこちらからも生きるための食べ物をあげて、命を返すことじゃないですか。それがウンコであり、野糞をすることなんです。いくら「いのちの輝き」を謳ったとしても、そこに実践が伴わなければ意味がありません。
そういうことをもっと広く世の中に伝えるために、川中さんみたいな若者がいるのが、私にとっては希望なんですよね。糞土思想を伝えるなら、オヤジ世代よりも若者に断然期待をしているのですが、世代が違い過ぎて、お互いに理解できないことも多い。そんな時に、川中さんのような人に代弁者になってほしいんです。

川中 大便だけに(笑)。大阪万博には「静けさの森」という木が植えられた場所があるのですが、そこで野糞をして果たして循環されるのか、ぜひ伊沢さんに試してほしいです。
僕は「誰にも遠慮することなく、書きたいことを書く」をモットーに日本中学生新聞を作っているので、これからも遠慮せずに、色々な発信をしていきたいと思います。
伊沢 心強いですね。川中さんのような若者の存在こそが、未来を輝かせるんです。そして畠山さんからも、今まで知らなかった大切なことをいろいろ教えていただきました。お二人とも今日はありがとうございました。
〈了〉
(取材・撮影・執筆:金井明日香)